米島に捧ぐ

〜米島に話したいことメモ〜

Netflixとお葬式:大豆田十和子と傷つけてしまった友人

反省の意味も込めて書きなぐる。

 

先日、友人の祖父が亡くなった。

突然死というよりはだいぶ前から予兆があり、家族も心の準備はできていたようだったが、改めて友人と話してみると、祖父の死を受け入れられているような、いないような少し焦点がぼやけた話し方だった。こういう時になんて言葉をかけてあげれば良いのか分からない。最近自分の言葉のなさに嫌気が差してばっかりだ。

 

時をさかのぼること1ヶ月、私はNetflixを解約した。動画視聴の大半がYoutubeで行われるようになり、Netflixで見たいドラマやアニメがなくなりかけていたので、節約の意味も込めて辞めることにした。

しかし面白いもので、解約した途端に昔見たドラマが無性に見たくなり始めた。無料期間でもないのに直ぐに再登録するのも嫌だったので、その友人からアカウントをシェアしてもらって使うことにした。

日曜の夕方頃から、友人のアカウントを使って「大豆田十和子と三人の元夫」を見始める。坂元裕二松たか子、そして東京03角田待望のメジャードラマデビューとなったこのドラマが大好きで、今回でおそらく4周目になるだろうか。

このドラマには毎回胸糞悪くなるシーンがある。十和子が社長を勤める会社の取引先相手で、人間性の欠片もない社長が十和子に向かって「バツ3なんて可哀想な女性ですね」とラベルをはるシーンだ。ドラマの中の演技なのに、演じている俳優が嫌いになったのは「凪のお暇」に登場した高橋一生以来だった。本当にクズ野郎だと思っている。夜だったし、これ以上見たら胸糞悪くなると感じた私はそこでTVを消した。

 

さっきNetflixを開いたら、その視聴途中で止めた動画は最後まで見終えられていた。しまった!その時はっとした。自分が止めたこの胸糞悪いシーンの直後に十和子の親友が急死するという物語が続いていたのだ。お葬式のシーンが淡々と放送されていく。

 

たぶん友人は何も言わない。気にもしていないかもしれないし、もしかしたらスキップしたのかもしれない。それでも無意識のうちに友人を追い詰めるようなことをしてしまったという事実に、にただただ胸が痛い。

 

アカウントシェアにおいては、自分が興味を失った場所や見たくなくなった停止地点から、他人にその体験を開始させることになるんだと今更気が付いた。こんなことならアカウントシェアなんてしなければ良かった。気付きなんてなんの癒やしにもならないよ。

 

P.S. 会社で嫌なことがあったら帰り道で競合製品を買うようにしています。他社の業績に貢献することで心を鎮めよう。