米島に捧ぐ

〜米島に話したいことメモ〜

平日夜のショッピングモールのナイトショー

平日の夜のショッピングモールはこんなにも寂しいものなのか。人がいる時とのギャップがありすぎてコロナ真っ只中の夜の渋谷みたいになってる。

 

これから150人収容の映画館を独占してくる。平日夜・ショッピングモール・映画館は完全に映画の穴場だな。

 

P.S. 鼻くそを取る指って人差し指だよな、って時々確認します。

「普通の中盛」と「うちの中盛」:今年一、腹がふくれた日

朝、自転車で代々木八幡のカレー屋さんに到着。駅前の好立地に建つこのお店の隣では、松屋の新作「ビーフシチュー」ポスターが堂々と貼り付けられている。10時過ぎで昼前混み合う前に行ったので20分ほど待った後にカウンターに案内してもらう。

 

「うちの中盛、普通のお店の量より多いけど、本当に大丈夫ですか?」

 

中盛を注文した後に女将さんと思われる店員さんに確認される。隣にいた友人が「少なめ」で注文していたので、「まあ最悪多くても足し合わせれば食べられない事もないだろう、それに朝から特に食べていないし問題ないな」と中盛で押し切った。

女将の曇った顔を、夜になった今でも思い出す。

 

5分ほどしてカレーが机に並べられる。最初の感想は「この量なら全然問題ないな」だった。

器は普通よりやや大きめ位のサイズだったので問題なかったが、強敵は具材だった。ポーク・チキン・キーマなどお米の上に乗っている具材が特盛で、米とスープのハーモニーを楽しむフェーズは最初の3口で終了。残りの時間は立て続けに口に運ばれる具材のパワープレーに、私の口が果たして耐えられるのか、のゲームになっていた。

多い。いやご飯の量は多くない、むしろ少ないぐらいだ。でも胃に対する具材の負担が高すぎる。15分後スプーンを置いた自分のお腹は、疑う余地もない程に今年に入ってから一番膨れていた。

 

注文時の女将の曇った顔が頭をちらつく。

「新参者は量が分からなくてよく中盛りとか大盛りとか言うのよ。そういうのは量が分かってからやってほしいわね」

そう言いたい顔だったのか(しらんけど)。

・・・うちの中盛りを世の中の中盛りと同じ量に調整してくれよ!!

 

店を出る。隣には先程の同じ松屋のポスターがはられている。あなたの大盛りを私は知っている。知っていることで感じられる安心感があるのだと体感した一日だった。

 

P.S. 高校の卒業文集を見返していると「草食系男子」で学年1位を獲得していた自分を発見しました。おめでとう。

 

結婚式の受付でポンコツさを知る

人生で初めて結婚式の受付を仰せつかる。

来た人にパンフレットを渡すだし大丈夫だろ、と安易に引き受けたら、やることが8つ位あり想像以上にあたふたした土曜日。15人の来賓者の受付をやるだけなのに来場チェックの場所を間違えたり、メッセージカードを渡し忘れたりとこんなポンコツだったのかと笑ってしまった(笑い事ではない)。あと実際に受付に立ってみると、アクリル板のせいで全然声が届かない。コロナが始まって2年以上何を学んでいたのだろうかわたしは。

今日の結婚式は新郎新婦が自身で幼少期からの生活を振り返るQ&Aセッションが序盤にあり、
結婚式で声を聞ける機会が限られがちな新郎新婦の楽しそうな声を聞くことができた。他にも形式ばった結婚式ではなくカジュアルに楽しんでほしいという二人の思いやりを感じるコンテンツが多く、幸せを分けてもらったいい一日だった。

それにしてアプリで出会って数ヶ月で結婚するカップルがとっても多い。お見合いや職場での出会いの時代から、ネットで出会う時代に確実に変わっていると実感する。

P.S. 隣の席から「私は小学1年生で選手生命が立たれたの」と聞こえてきたのですが、どんな小学一年生だったのでしょうか?

Tabelogと北千住:オールラウンダーはいない

足立区の北千住に引越してきて2ヶ月が経とうとしている。日常的に元住んでいた所の近くまで出勤しているので、最初はそこまで生活の変化を感じなかったが、2ヶ月目に入るとようやく引越したことを実感し始めている。

先日、先輩とご飯に行きお気に入りのお店の話をした。先輩のお気に入りを調べてみると、Tabelogのレビューが少ないイタリアンのお店で、面白いことにレビューが4.5以上と3.3以下にきれいに二分化していた。

どんなお店なのか想像が難しいお店だったが、よくよく聞いてみると店長が大の下ネタ好きなお店らしい。イタリアンの名店で修行をつんだシェフの料理は絶品で、グルメ家の先輩も絶賛していたほどだったが、カウンター越しにノンストップで繰り広げられる下ネタに気分を害す人が一定数いるらしいのだ。

思い返せば、北千住に引越してくるまでの自分はTabelogで高評価なお店や、評価の数は少なく点数が上がりきっていないが、ついている評価は全て高評価、という皆が絶賛するお店に通っていた。しかしこの街はそうしたオールラウンダーが少なく、先輩の紹介してくれたお店のように両極端に触れているお店が多いように思う。

ももの焼き鳥が40円で売っている格安焼き鳥屋は無愛想な接客だし、ディープな北千住のお店は、味はイマイチでも接客がフレンドリーで通いたくなってしまう。面白い街だな、北千住。

 

P.S. 窓を全開で音量出してエッチな動画を見ていたら、窓の外にいた近所のおばあちゃんに全て聞かれていました。家を出れません。

本レビュー:どうしても頑張れない人たち~ケーキの切れない非行少年たち2

社会人になってから頑張っても頑張っても進歩がないと感じる回数が増えた。頑張ってるつもりでも何も学んでない自分を嫌というほど意識させられ、怒られることに萎縮し、徐々に無気力になり、気が付いたら頑張り方がわからなくなった。

 

この本の「頑張れない人」という言葉を見た時、自分の中の世の中は常に「頑張れる事が前提」で動いていたのだと意識させれ、今の自分が読むべき本だと思った。

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前作の「ケーキの切れない非行少年たち」と同じく、認知能力が欠けた少年たちの生活に着目している一方で、コミュニケーションやどう個人や社会が支援できるのか、といった具体的なアプローチについて踏み込まれている本だった。

一人で自分を変えられるような子供なら少年院には来ていない、というごもっともな指摘から始まり、いかに彼らの変化にとって支援者が重要な存在であるか、といった点について踏み込まれいる。

さらに本書ではその支援者が更に支援を必要としている事実にも触れられている。最大の支援者だった親は、子供の非行に悩まされ被害者の家族や近所の人々に謝罪をし、疲弊しきった状態である事が多いという。親の負担を軽減してあげつつ、それでも子供が社会復帰するために親に支援者でい続けてもらえるようにするのか、が少年院で働く者の仕事の一つだと書かれており、少年院のイメージが変わった。

 

「親が変わるから子供が変わる」と言われがちだが、実は子供が変わった姿を見て「この子はまだまだ変わっていける可能性がある」と期待を持つことができ、改めて頑張る子供の横で並走してあげようと思えるのだという。そしてそう感じてもらう施策の一つに、保護者会で来てくれた親に対して、子どもの口から「来てくれてありがとう」と感謝の言葉を伝えるよう、保護者会の前に「練習」しているのだという。

手を挙げられたり怒鳴られたり、一緒に住んでいたときには悩みのタネだった子どもに会うに際して、少なからず不安を抱えていた保護者は、例え作られた姿だとしても子供の感謝の言葉を聞いて心を打たれる。最初のきっかけは表面的でもいいんだ、歯車が回り始めるって事が一番大事なんだと考えさせられた。

 

また面白かったのは「おわりに」で記載されていた同業者への眼差しだった。本書で述べられている内容は勉強会を通じて何度も発信していたが、その時は「そういった見方もあるのか」といった程度の受け止めしかされていなかった。しかし世間で評価され始めると、そこで初めて「理解してみよう」と議論が活発にされる思うようになった、と述べられていた。

同業者に真剣に受け止められるには、言ってみれば外の人間/同業者以外の人に認められてから、というのは情報の広がり方として非常に興味深いポイントだった。少年院だけでは変えきれない問題がここでは語られていた。自分自身も身近にこうした「頑張れない人」がいるのかもしれないと日々の人間関係を思い返したし、自分自身が一向に成長を感じられない経験があったからこそ他人事とは思えなかった。

 

いい本だった。今日から手に入れた本はその日中に読む習慣を開始。積ん読しない読書習慣ができるかチャレンジ。

 

P.S. マクドナルドでリモート会議していたおじさんが「いま喫茶店に来てるんですよ」と言っていて、マックカフェのブランドもも捨てたものではないと感心しました。(なお、マックカフェでも何でもないマクドナルドでした)

PayPayとチップ:支払い時に揺れ動く感情

「ここは俺が奢るよ。」

彼の住む地域にわざわざ来てくれたから、とラーメンを奢ってくれようとしている。

久しぶりに再開した友人だったのでどの距離感で接すればいいか探り探りだったが、

彼は学生時代に変わらず思いやりに溢れたいい人だった。

 

「ごめん、現金ないから後でPayPayで送るわ。」

 

・・・いや、それは違うだろ!!

え、いや、奢るってそういうことなのか!?

 

・・・友人の親切心にケチをつける酷い大人になってしまったよ、わたしは。いやでもそれは奢るじゃないじゃん!お金をあげるよ、に近い概念じゃないのか?奢るとは全く財布に触らないでいいよってことじゃん!

無機質になった電子マネーが奢るという行為も無機質にしてしまったのか、と少なからぬショックを受けた一日だった。

 

決済で心がかき乱されることは過去にもあった。アメリカで電子決済移行期に起こった出来事だ。

当時自分には行きつけのアジアンフードトラックがあり、常連になりほぼ毎日のように通っていた。注文カウンターの端にぽつんとチップ用の瓶が置いてあったのだが、チップを強要するような作りではなく、入れていく人も20人に1人位だったと思う。

 

ある時、そのお店がSquareというiPadでクレカ決済の対応も出来る電子レジのサービスを導入した。サービスを導入後には自分含めクレカで決済する人も増え、お客からしても使い勝手がよくなる素晴らしいサービスだった。

問題はチップだった。支払い額の確認画面の後に、チップの入力画面が現れたのだ。0円を押して店員さんに戻すと、「ああ・・・0円か・・・」というあからさまな落胆な姿が目に見える。いやいやいや元々私は0円だったじゃないですか!と思う一方で、手数料が取られる分お気持ちでもチップが欲しくなったのだろうか、と申し訳ない気持ちになる。

チップをそこまで期待していなかったお店がチップを意識せざるを得なくなり、チップを入れた人だけが目立っていたのに、チップを入れない人も同様に目立ってしまう状況が作られてしまっていた。その日の出来事がショックで、徐々にそのお店に行く頻度は少なくなっていった。

 

P.S. 8時半に通勤電車内でタイマーがなると、リモートの起床時間は8時半なんだなと思ってしまいますよね。

【本レビュー】蚊取り線香の歴史〜きっと誰かに教えたくなる 蚊学入門(2)

前回に引き続き蚊学の本についてのまとめ。

 

初めて発明された蚊取り線香大日本除虫菊金鳥)が1890年に発明したものとされている。当時の日本にはノミ退治用の製品はあったものの、蚊を専門に退治する製品がなかった。そのため、19世紀末に登場し、個人が手がるに蚊の駆除をできるようにした蚊取り線香は、

 

金鳥の創業者、上山英一郎は紀州みかんの農家の子として生まれた。文明開化した東京に憧れ、東京で福沢諭吉慶應義塾に通っていたが、脚気に患い紀州の和歌山に帰郷する。しばらくすると、恩師の福沢諭吉からアメリカの種苗商(しゅびょうしょう)がみかん苗に興味を持っているから案内してほしい、と依頼を受け、恩師の頼みとあって英一郎は親切丁寧にアメリカからの訪問者の対応を行った。

大変満足して帰国したアメリカ人は、後にお礼として様々な植物を上山に贈り、その中に除虫菊の種子が入っていたらしい。殺虫成分ピレトリンを含んだ「除虫菊」に出会った上山は、1890年に棒状の蚊取り線香を発明した。いろんな商品の歴史を知る中で、毎回渋沢栄一福沢諭吉に繋がっていくの、改めて偉人だったのだと感じる。

 

一方で初期の蚊取り線香には課題もあった。約20cmの棒状蚊取り線香は約40分の持続力があるのだが、夜間の睡眠中など40分過ぎてから現れた蚊に対しては対策ができなかったのだ。便利ではあるものの、利用者は40分以上の持続性がある商品を求めていた。

持続性を実現すべく、棒を長くする・広くする、といった方法は考えられたが、輸送時に折れやすくなったり、かさばってしまうというリスクがあり中々うまい解決策が見いだせなかった。

そんな折、上山の妻が渦巻き型のコイル型に巻いた形を作ることを考案した。型抜き形式でうずまきを作る手法も試されたが量産課題があったため、2本の線香をコイル状に巻く現代の形が生まれた。この形式にすることで輸送に折れるといった品質の課題も解決されている。渦巻の形状って持続性を高める実用性を追い求める過程で生まれたものとは知らなかったな〜。

 

P.S. 「旦那様が浮気をしなかったら、あなたはこの家に来なかったのよ~」って犬に言い聞かせてる友達がいます。犬の戸惑いが想像できます。